最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)401号 判決 1982年1月19日
上告人
大阪府
右代表者知事
岸昌
右訴訟代理人
道工隆三
井上隆晴
柳谷晏秀
中本勝
亡栗山一成訴訟承継人
被上告人
栗山元秀
右法定代理人後見人
後藤丹後之介
右訴訟代理人
三瀬顯
下村末治
野間督司
近藤正昭
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人道工隆三、同井上隆晴、同柳谷晏秀、同中本勝の上告理由第一について
一所論の点に関し原審が適法に確定するところは、おおむね、次のとおりである。
1 綾部鉄治は、傷害、暴行、脅迫、強姦未遂などの粗暴犯一九犯を含む二三犯の前科を有する者で、昭和四五年七月二八日佐世保刑務所を出所したのち、同年一一月から大阪にきて東淀川区下新庄町の飯場に住み土工として働いていた。
2 綾部は、同月一二日夕刻飯場でウイスキーを一合飲んだのち、阪急淡路駅付近でビール七、八本を飲み、その後一〇時すぎころ、同区淡路本町二丁目四一〇番地の「スナック舞子」(栗山マイ経営)に入つた。綾部は、「スナック舞子」に入ると、腹巻から本件ナイフ(刃体の長さ7.5センチメートルの鋭利な飛び出しナイフ)を出して刃を開き、これを持つて店の中を歩きまわつたため、客のなかにはこわがつて店から退出したものもいた。そこで、バーテンの滝敏は、綾部を西隣の「スナックニュー阪急」(栗山マイ経営)に連れて行つたが、同人は、その途中、滝に対し本件ナイフを出して「殺してやる」と脅し、「スナックニュー阪急」に連れられて行つてからも、店員や客に対し、刃体の開いた本件ナイフを見せて「馬鹿野郎」とか「刺されたいか」などと怒鳴つた。
3 そこで、「スナックニュー阪急」の支配人の栗山一成と前記滝が、同日午後一一時五分ころ、綾部を約一五〇メートル離れた淡路警察署に連れて行つた。そして、栗山らは、警察官に綾部を引渡し、同人が「スナックニュー阪急」などで本件ナイフを出して店の客を脅かし危いので連れてきたと告げ、途中で同人から取り上げた本件ナイフを警察官に渡した。
4 淡路警察署の警察官は、綾部に対し本籍、住所、氏名を問い、所持品を見せるように求めて身体検査をした結果、同人が佐賀県神崎郡千代田町に本籍のある昭和五年一月九日生れの男であり最近郷里の佐賀県から大阪にきたものであることを確認した。そこで、右警察官は、大阪府警察本部に対し綾部の前科及び指名手配の有無を照会したところ、同本部では、本籍、犯行場所、言渡裁判所が大阪府外である者の前科は登録されていないため、同人の前科は発見されなかつたが、同人の両眉及び左首より胸の付近には入墨があり、入墨をした者には粗暴犯の常習者が少なくないのにかかわらず、同人に対し前科の有無を尋ねることをしなかつた。
5 また、警察官は、綾部の所持していた本件ナイフが鋭利な飛び出しナイフであることを確認したうえ、同人に本件ナイフの所持目的と「スナックニュー阪急」での行動について質問したところ、同人は、ナイフは果物の皮をむくために所持しているのであり、「スナックニュー阪急」ではナイフは刃を開かずにカウンターの上に置いただけである旨答えたが、同人は相当酩酊していて当夜の行動を明確に記憶していないほどであり、その供述態度も反抗的であつて必ずしも信用できるものではなかつた。しかし、警察官は、綾部を警察に連れてきた栗山らに対し、綾部の「スナックニュー阪急」での具体的行動について確認することはしなかつた。
6 警察官は、酒を飲んだ者が深夜腹巻にナイフを忍ばせて外出することは異常と思つたが、綾部の行為は犯罪を構成せず、逮捕、保護又は引取りを手配し、ナイフを領置、保管したりする必要はないと考え、同人に本件ナイフを持たせたまま帰宅させた。
判旨二以上の事実関係からすれば、綾部の本件ナイフの携帯は銃砲刀剣類所持等取締法二二条の規定により禁止されている行為であることが明らかであり、かつ、同人の前記の行為が脅迫罪にも該当するような危険なものであつたのであるから、淡路警察署の警察官としては、飲酒酩酊した綾部の前記弁解をうのみにすることなく、同人を警察に連れてきた栗山らに対し質問するなどして「スナックニュー阪急」その他での綾部の行動等について調べるべきであつたといわざるをえない。そして、警察官が、右のような措置をとつていたとすれば、綾部が警察に連れてこられた経緯や同人の異常な挙動等を容易に知ることができたはずであり、これらの事情から合理的に判断すると、同人に本件ナイフを携帯したまま帰宅することを許せば、帰宅途中右ナイフで他人の生命又は身体に危害を及ぼすおそれが著しい状況にあつたというべきであるから、同人に帰宅を許す以上少なくとも同法二四条の二第二項の規定により本件ナイフを提出させて一時保管の措置をとるべき義務があつたものと解するのが相当であつて、前記警察官が、かかる措置をとらなかつたことは、その職務上の義務に違背し違法であるというほかはない。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、右と異なる独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
同第二について
所論の的に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係のもとにおいて、所論警察官の違法行為と栗山一成の受傷により被つた損害との間に相当因果関係があるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第三について
所論は、原判決の違法をいうものでないことが明らかであるから、適法な上告理由にあたらない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(環昌一 横井大三 伊藤正己 寺田治郎)
上告代理人道工隆三、同井上隆晴、同柳谷晏秀、同中本勝の上告理由
第一、原判決は、銃砲刀剣類所持等取締法二四条の二、二項の解釈適用に誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかである。
一、原判決は、淡路警察署警察官が右同条項の規定により綾部からナイフを一時保管する措置をとるべきであつたのにこれをしなかつたのは違法であると判示するが、これは同条項の解釈を誤つたものである。
1 同条項は、一時保管の措置をとりうる要件として、他人に危害を及ぼすおそれが異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して認められる場合と規定しており、しかも警察官に一時保管措置の強制権限を与えたものではなく、相手方の同意を要件とするものである。又同条項に基づく権限の行使は、同法二四条の二、四項にあるとおり、必要最小限において用いらるべきである。したがつて一時保管措置の作為義務まで認めるには、余程の合理性がなくてはならず、たまたま結果的に危害の発生をみたからとて安易にこの作為義務を認むべきではなく、この措置をとるか否かの判断時における警察官の具体的な状況判断が十分尊重さるべきである。
2 本件において淡路署の警察官は、本件ナイフが刃体の長さ7.5センチメートルの比較的小さなものであること、飯場の生活者として翌朝からでも果物の皮をむくためなどに必要であり、又工事現場の作業においても必要と認められたこと、警察署に来て一時間以上も経過し、綾部の酔もさめていると認められたこと、すでに零時をまわつており、朝の早い飯場生活者として綾部の言葉どおり真直ぐに飯場に帰ると思われたことなどより、ナイフの一時保管の措置の必要を認めず、綾部に対し十分説諭の後ナイフを持ち帰らせたものである。
3 右のごとき判断のもとに警察官が同法二四条の二、二項の権限を発動せずにおいたことは、あながち非難さるべきことではなく、本件において警察官に一時保管措置の作為義務があるとまでみることは、同条項の前述の趣旨よりして行き過ぎであり、原判決は同条項の解釈適用を誤つたものである。
二、原判決は、同法二四条の二、二項の解釈適用を誤つて、淡路警察署の警察官がナイフの一時保管措置をとらなかつたことを違法と認定し、それを前提として本件損害賠償を認めているのであるから、右条項の解釈適用の誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかである。
第二、原判決は、本件綾部の犯行の予見可能性及び相当因果関係の判断において国家賠償法一条一項の解釈に誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかである。
一、原判決は、「綾部が所携のナイフで他人に危険を加えるに至ることは十分予見し得た」と判示するが、前述のとおり、綾部の酔いは左程残つているとは認められず、すでに深夜のことでもあり、飯場に真直ぐに帰るといつている綾部の言葉にことさら疑問を持たねばならない状況もみられなかつたのであるから(その場合飲み屋街を通る必要もない)、ナイフを用いて他人に危害を加えることなど予見し得なかつたのであり、もしそのようなことが十分予見しえていたなら、警察官としてナイフの一時保管措置を当然にとつていた筈である。ことに本件においては、後藤丹後之介らの暴行に触発された結果のナイフの使用であつてみれば、かかる事態を事前に予測しえないことは第一審判決も判示するところであり、本件において警察官に綾部の被上告人に対する犯行の予見可能性を認める原判決の判断は誤つたものである。
二、原判決は、警察官のナイフ返還と被上告人の受傷との間には法律上の因果関係はないとする第一審判決の判断を退け、両者の間に相当因果関係があると判示するが、これは不法行為における因果関係の判断を誤つたものである。
1 綾部は、後藤丹後之介外二、三名のやくざ風の男より額に血を流す程の暴行傷害をうけ、その直後再びビールを飲み、引続き被上告人に対する犯行を行つており、一連の経過から後藤らの暴行傷害が被上告人に対する犯行の原因であることは明白であるし、この暴行がなければ本件犯行もなかつたであろうことも又容易に推測できるところである。してみれば、第一審判決のいうごとく両者間にはもはや法律上の因果関係はないとみるべきである。
この点について原判決は「綾部の控訴人に対する行為は綾部に対する後藤丹後之介らの暴行から二〇分以上も後になされたものであるから、後藤丹後之介らの暴行が綾部が控訴人を傷つけるに至つた決定的な原因であつたとは認め難く、前記因果関係を遮断するものとはいえない」と判示しているが、後藤らの暴行と本件犯行に二〇分余りの間があつても、その間綾部はビールを飲んでいたのであるから、むしろ腹立たしさが倍加されたとみられるのであり、この程度の時間的経過をもつて両者の因果関係を軽減することは経験則上許されるところではない。又原判決は後藤らの暴行を「決定的な原因」と認め難いとしながら、この暴行を四割の過失相殺に値するものとしており、してみれば「決定的」との用語はともかく、後藤らの暴行が非常に大きな原因となつていることを認めているものといわざるを得ないのである。とすれば、かかる原因の介在を認めながら、なお警察官のナイフ返還行為と被上告人の受傷との間に法律上の因果関係があるとする原判決の判示は、相当因果関係を余りにも巾広く認めるものであつて、許さるべきではない。
2 綾部が被上告人に対しナイフを使つて傷害を加えるに至つたきつかけについて、原判決が判示するごとく、被上告人が後藤らの暴行を詫びることなく閉店するので出ていつてくれと云われたことにあるとみることについては、一連の綾部の行動及び当時の状況からして納得し難いものがあり、綾部が検察官調書或いは刑事々件の公判廷で述べているように、ナイフを使う直前に後藤らからうけた暴行と類似の暴行をうけるような状況があつたとみるのが経験則上合理的である。してみれば後藤らからの暴行とあわせ、この直前の暴行或いは暴行を加えられるような事態がナイフを使わしめた原因のすべてとみられるのであり、ナイフ返還行為と被上告人の受傷の間に法律上の因果関係はもはやないとみるべきである。
第三、原判決は、損害の判断において、被上告人の生存を前提として逸失利益を計算しているが、被上告人は昭和五四年一二月二四日死亡しているのであるから、仮りに上告人に損害賠償の責任があるとしても、右死亡の事実が上告審において明らかである限り、この事実を斟酌し、被上告人の生活費が控除さるべきである。